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目の見えない人々が象に触れ、異なる解釈を語る。
柱のようです
木の枝のようです
綱のようです
壁のようです
扇のようです
パイプのようです
…
同じ一枚の写真であっても、
異なる文脈から感知されると、
解釈に差異が生じる。
観光地に作られた洞窟を訪れたときに、人々が腰をかがめながら内部へ進んでいく様子を目にし、プラトンの洞窟の隠喩を思い出した。もし地上の世界が「真実の世界」を象徴するならば、なぜ地上の世界に生きる私たちは、作られた世界を求めるのだろう。未知を求めるその過程が、「既知」にたどり着いてしまうかもしれないにもかかわらず、未知への憧れに引きずられてしまう。
自分の制作が「観光」と何らかの関係性があるように感じる。一方、この関係性が本当に存在するのかは自分でも確信できない。この気づきがきっかけとなり、写真を通じて、自分自身と観光との関係を掘り下げようと考え始めた。多様な解釈ができる手段として写真を用いて、日常と創作の境界が交差する可能性を探り、日常における視覚的な経験を改めて問い直す試みとする。




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